2016年9月19日月曜日
2016年9月17日土曜日
石田三成と宗亨
頂相画家 西村俊廣
「大河ドラマ・真田丸」で石田三成に人気が集まり、特集した歴史探訪番組に三成の肖像画が出てきます。関ヶ原の後、三成は首を打たれますが、一族は青森弘前藩に逃れ、杉山と変名して重臣として仕えた様です。
もう15年以上も前になりますが、三成末裔の方の依頼で石田三成像と嫡男で妙心寺寿聖院の住職になった石田宗亨禅師の肖像画を制作させて頂きました。三成像を3幅、宗亨像を2幅制作し、三成像は妙心寺寿聖院、末裔の白川亨氏(三成研究家)と滋賀県長浜市の石田三成会館に、宗亨禅師像は白川氏と妙心寺寿聖院に所蔵されております。
TVでも私の模写をした三成像はよく使われており、ほぼ杉山家に残されていた本物と半々くらいの確立で登場します。多分3幅描いたうちの三成会館蔵の方だと思います。
三成は六条河原で処刑をされ、首を晒された後、大徳寺三玄院に葬られておりますが、10年程前に三玄院閑栖和尚様の頂相を描かせて頂く光栄に預かり、その時にお墓にお参りさせて頂きました。三玄院には他に古田織部のお墓もあります。どちらも歴史上の人物の割にとても小さなお墓だった様に憶えております。
上から石田三成会館蔵、白川亨氏所蔵のものと思います。どちらも同じ岩絵具で制作しましたので、ほぼ一緒の肖像でしたが、写真にすると色が違っています。本物は上の方に近いと思います。尚この図はネットから引用していて不鮮明ですが、私も写真を撮っている筈なので見つかりましたら差し替えます。しかし何千枚もある写真の中から探すのは大変です。
取り敢えず「大河ドラマ・真田丸」で明日あたりに処刑されるでしょうから、供養の心を込めてUPさせて頂きます。
石田宗亨禅師頂相
白川亨氏がたまたま古美術商で、宗亨禅師の頂相を見つけられたそうで、購入を懇願されたのですが、非売品との事。写真に撮らせてもらわれて、寿聖院の和尚様の仲介で私が制作する事になりました。写真が小型カメラで撮った、かろうじて衣紋線が読み取れる程の非常に不鮮明なものでしたので、模様等細部は似た柄を持ってきました。
〒606-8102 京都市左京区高野清水町142 西村俊廣 075-722-3927
e-mail: tinsoh@yahoo.co.jp
2016年9月9日金曜日
写真的な頂相(臨済宗、曹洞宗)
お寺によっては写真みたいに描いて欲しいという依頼もあります。絵絹に岩絵具で写真的に描くことは大変難しいですが、岩絵具だからこそ可能でもあります。一番難しいのはボカシですが、チューブ絵具や泥絵具では奇麗に出来ません。水を使ってぼかすと下の色が溶けて輪ジミが出来ます。そしていくら上に絵具を重ねようが同じシミが出ます.
岩絵具で可能なのは例えて言うなら、砂浜は波が引くとき輪ジミを残さず、泥田はそうはいかないのがヒントでした。岩絵具で描いた画面は、例えば新品の化粧パレットを開いた様な、均質な完全マットに仕上がります。学生時代に学んだ、テンペラやフレスコ、エンカウスティーク(私の場合は蜜蝋ではなく松脂)の技法も取り入れて描いております.
臨済宗の頂相
☆画面をクリックすると大きくなります。
曹洞宗の頂相
絵の耐久性について
私の肖像画は絵絹の上に岩絵具で着色しております。岩絵具は鉱物から出来ており,変色,退色は致しません。又ドウサに明礬を用いませんので,酸化に因る絵絹の黄斑も出ません。ほぼ絵絹の寿命の500年くらいと考えます。対して油絵は酸化し易い重金属の粉を顔料としており,又溶き油が黄変したりで数十年で劣化が始まります。ひび割れ、剥落等も必然です。
〒606-8102 京都市左京区高野清水町142 西村俊廣 075-722-3927
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